私が就職活動をしたときの話
id:ksachiko さんの記事、ラブコールを受けて。
私は大学卒業後、新卒で今の会社に入り、7年目。
ビル・ゲイツでもなければ、ネオヒルズ族でもない、ただの会社員だけど、それなりに頑張って働いてきたつもり。
もしかしたら少しは誰かの参考になったりするのかなぁ?と期待をこめつつ、年末だから過去を振り返ってみる気持ちもこめつつ、私が就職活動をしたときと、どんな気持ちで働いてきたか書いてみます。
※とても長くなってしまったので、就職活動と入社したあとに分けます。就活はあまり面白くないんだけど、その後の話の前提になるので、、
※ちょっと特定されかねない業種のため、ぼかした状態で書きますが、ご容赦ください
私について
都内の普通レベルの大学(付属校から推薦入学)を、普通の成績(A,A+が4~5割程度、Cが1~2割、残りB)で卒業しました。
名門大学と言われることはありますが、エリートとは言われないな、という程度の大学だったと思う。正直。
今調べてみたら、学部によってはマーチレベル、といったランクでした(マーチ以下、日東駒専以上なかんじ)。
女の子の大半は事務職OLとして就職(事務職なら複数内定が普通)。総合職は2割程度じゃないかと思う。その半分くらいは、当時はしりだった「エリア総合職」。7年後現在、退職した人も多いように思います。
会社について
現在働いている会社は、ちょっと人気のあるというか、志望者が多い業界で、その中では中堅~上位くらいの位置づけ。
業界内ではほぼ誰でも名前を知っているし、他業界の人ならまあ、知っている人は知っているかな、という感じです。
4年生になったばかりの時の採用試験に合格し、総合職の正社員として採用されました。内定者は10人未満でした。
7年目現在の年収は、サラリーマンの平均年収といわれているものより、少し多い、くらいです(残業も多い)。
一応、生活には困っておらず、やたら贅沢をしなければ、このまま一人で働き続けて死ぬまで食べていけそうです。
ついでに言うと、非常に高学歴な方が多く、私と同じ出身大学の社員は、社内に一人しかいませんでした(しかも事務職採用)。
よく受かったなぁ、、しみじみ。
就職活動したときに思っていたこと
私は、その業界(というか仕事)にとても強い思い入れがあり、どうしてもその仕事につきたいと思っていました。いわゆる憧れが強かった。
なので、業界研究やら、筆記試験用の勉強もかなりがんばりました。
問題集とかもたくさん解きました。
3年生になる前から、企業研究や知り合い作りをかねて、同業他社(大手)でアルバイトもしていました。
どうしてその仕事につきたかったのかというと、内容が魅力的(に思えていた)だったし、それ以上に、条件面での魅力がありました。
当時思っていたイメージをあげてみます。
- 総合職、事務職を分けていない。女性でも普通に総合職で働けそうだ
(能力があれば女性でも出世できそう) - 人気業種なので高学歴の集まりだけど、一芸があれば私くらいの学歴でも入りやすそう
- そこそこ給与が高そう
(結婚しない場合でも、一人で十分食べていけるレベルはほしい) - 結婚、出産しても退職しなくてよい。続けるのが普通という空気がありそう
私が目指していた仕事(会社)は、上記の条件を満たしているように思えていました。※当時学生の私が外からみたイメージです
特に、給与や、結婚・出産へのケア、女性総合職が当たり前に受け入れられている環境というのは、かなりの大企業(日本のトップ企業クラス)でないと得られないように思えたし、そういった企業に総合職で入社するのは、私の学歴や能力ではかなり厳しいだろうな、と思っていました。※当時学生の私が外からみたイメージです
そんな風だったので、もう「この業界しかない!」くらいに勝手に思い入れを持っていたし、憧れもかなり強くありました。
激務でもかまわない。プライベートもあまりなくても、この仕事がどうしてもしたい、とやたら血走った目をしていたんじゃないかな。
業界トップクラスの企業でも採用人数は数十名クラスがほとんどで、年度によっては採用をしない会社もたくさんあったのに。
当然、学歴普通、能力普通(下手したら低いかも)、な私にはかなり険しい道で、同じ大学の先輩からは、「最初はみんなチャレンジしたくなるんだよね~」とか言われたりしてました。
実際に試験を受けてみて
当然ですが、落ちまくりました。
もう業界トップ社ダメ、その次ダメ、系列会社ダメ、似たような業界のABC全部ダメ。お祈りメールがくるたびに青くなり、持ち駒の少なさにおびえてました。
エントリーシートで大量に落とす会社と、筆記試験で大量に切る会社に大きく分かれていたんですが、ESでもけっこう落ちたし、面接も一次で落ちることがとても多かったです。筆記も、1、2社は落ちたので、基礎学力も足りなかったのだと思います。
就活仲間で高学歴(旧帝大、早慶上智)のみなさんは、どこかの会社には決まっていたので、やはり無謀なチャレンジだったんだろうなぁと思う。
しかも、他業界の併願をほとんどしていなかったので、事務職志望の友達が複数内定で次々と活動を終えているのに対し、もちろん私は無い内定。
気がついたら、今からエントリーできる会社なんて、地方しかないのでは?という状況。面接には呼んでもらえるけど、最終手前で落ちたり。
泣きながら就職課に相談にいったのはいい思い出です。
そんな中、なぜか今の会社の面接はとんとん拍子で進むことができ、あっさり内定がもらえました。
もうお祈りメールをもらっていない会社は、ここともうひとつしかなかったと思う。(ここがダメなら、公務員試験受けようかな、と思っていた)
大手とか、第一志望の会社ではないけれど、私がやりたい職種もある分野だったので、満足して就活を終えることができました。
というか、私マジよく受かったな!奇跡!みたいな感じでしたよ、、、ホント。
受かってから
要は、完全に憧れだけで無謀な志望業界を受けまくった私でしたが、なぜか奇跡的に合格しちゃったわけです。
でもでも。
憧れの業界に入社できたものの、ハッキリ行って思いも寄らない日々でした。
まず、なりたかった職種(部門)には配属してもらえなかった。
総合職採用だから、どの部門にも行く可能性があるし、内内定の段階で、軽く打診されていたので、覚悟のうえでした(○×部門の役員の△■さんの強いプッシュで内定がきまったので、たぶんそこに配属になる、それでいいか、とか言われた)。
というか、NNTだから、断るとかマジなかったし。
まったく無関係の分野ではなかったし、部門間交流がなくはないので、希望していればいずれ異動できるだろう、という目論見も当時はありました。
ちなみに、就職課では大喜びされ(あまりOBがいない業界だから)、何度も就活関連のイベントに呼ばれたりしました。ある意味期待に胸を膨らませた、幸せな時期でした。
でも残念ながら、私は今に至るまで希望の職種にはつけていないし、今後もないと思います。
もう希望もしていないし、今後もその分野は望まないと思う。
仕事に対する考え方もずいぶん変わりました。
その辺のお話は後編にて。
次はそこそこ学生の方が読んでも面白いことが書けると思う。たぶん。
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