こじらせ女子のつまらない出来事

長めの文章が好きな方へ

スポンサーリンク

補足と御礼とコメント返し/大人になってから自己肯定感を高めるには

昨日のエントリ、大人になってから自己肯定感を高めるには  に、たくさんのアクセス、コメント、ブコメ等々をいただきました(なんと、約3万アクセス、ブックマークは600弱)。

とても長いエントリだったのに、読んでいただいて本当にありがとうございました。

 

私はどうも文章を簡潔に纏めるということが苦手だし、結論だけ書いても説得力が全然持たせられないだろうし、いったいどうしよう?と思っていたら、軽く1万文字を超えてしまったという(笑)

長い文章をせっかく最後まで読んだのに、全然ためにならなかった、時間のムダだったという方もたくさんいると思います。それはごめんなさい。

私は心理の専門家でもなければ、ただのしがない会社員だし、特別優れた人間でもなにもありません。そんな私がなにかを伝えようなんてとてもおこがましいことかもしれないし、余計なお世話だったり、自分語り乙だったり、かえって迷惑だったりするかもしれません。

こういった、なんの根拠も理論もないけれど、私はこんな体験しましたよ、なんて話を偉そうに書くのはどうだろう、とモヤモヤモヤモヤしていたんですけど、昨今の「自己肯定感」系のエントリや、コメントを読んでいて、思わず書いてしまいました。

コメントやツイッターの反応は、ほとんどすべて読ませていただきました。

たくさん書いていただいて、ああそうだな、とかこれはもっと書くべきだったかなとか、やっぱりおこがましかったな、とかも色々思ったんですけど、やっぱり、苦しんでいる方がもたくさんいるんだなぁと思いました。

その中でも、共感したとか、救われた、読んでよかった、と書いてくれている方が少なからずいて、少しだけでも、私が経験してきたこと、考えていることを喜んでくれたり、必要だと思ってくれた方がいたんだなぁと、すごく嬉しかったです。

私は本当に25年以上、ずっと苦しい気持ちで生きてきました。前半は実際に暴力やら色々なことで命の危険を感じていたんですけど、でも、身体的な危機が去った後半のほうがずっと苦しかったです。

私がこんなダメな人間だから、こんな酷い目にあった、私のせいで家族も不幸にしている、幸せにできない、やる気も気力もなくって、へとへとで、周りがうらやましくて、なんで自分だけこんなダメな風に生まれてしまったんだろう、と思って。いつも気持ちが焦っていて、必死で、でも希望も期待もなにも持てなくなっていて、絶望感で心はいっぱいで。

そんな風なのは自分がダメな人間だからで、みんなとは違うと思ったけれど、先のエントリに書いたように、いろいろあってそれは違ったんだなと思いました。

もし同じように、1人で苦しんでいる方がいるなら、その方たちになにか届けたいなと思っていました。

反応をいただいて、私も励まされました。本当にありがとうございました。

書き足りないな、と思うこともたくさんあったりします。そのうちまた記事にしてみようかと思いますので、もしよかったらご覧いただけると嬉しいです。

 

コメント返し

さて。

たくさんブコメをいただいのですが、ブログのコメント欄と違い、私が返信するスペースが限られています。

すべてにお返事することはできないのですが、いくつか必要と思われるもののお返事をこの場でさせてください。

ご覧いただければ幸いです。

 

id:akari1616 さん

誰もいない荒野に独り立っている私の中には荒れる狂う風が吹いていて自己肯定する自己すらないカラッポの自分に愕然とすることもある。それでも毎日生きている。

読んでいて涙が出そうでした。私の思ってることですけど、何かができるから、とか何かであるから自分を肯定できる、という問題ではないんだと思うんです。だんだん疲弊していって、自分が何が好きで何を考えているのか、どうしたいのかも分からないようになっていました。心おだやかに過ごすことができますように。自分を労わり、優しくすることを自身に許してあげられる日がくればいいな…と思っています。

id:tamako2wasabi_enter3 さん

文章が苦手で、多くの文字を読めない知り合いがいる。まとめブログやTwitterもキツイって言ってた。そういう人にこのブログの文を届けるには…どうしたら良いんだろう。私のような健全な人が絵本調にしていいものか

その方は、きっと苦しい気持ちで生きていて、心配なさってるんですよね。もし私の書いた文章なんかで良いならば、どんな形でも使っていただいて構いません。そういう風に心配なさっているあなたの存在が、その方にとって一番嬉しいことだと思います! 
もし、作られることがあれば、こっそりとでも見せていただけますでしょうか…。どきどき。絵本調とか…素敵すぎる(涙)。

id:mooth1006u3  さん

 

>“家族や恋人、友人がいたりするのは、私が何かの役に立っているから~…” 超共感。 / だから他人が私を肯定する ってあまり私に届かないのよ。私自身で認知の歪みを正すしか。

届きませんでしたね。どちらかというと、友達は多いほうなんですが、かなり取り繕った接し方をしていたし、自己開示もできていなかったので、みんなが好意を寄せてくれても全然ダメでした。なんか騙してるすらしていて、申し訳なかった。
でも、意外と、先のエントリに書いた、パニック障害になったときに迎えに来てくれた友達も、実は同じ経験をしてたんですよ。経験者だからできたことなんですけど、全人格的に好きだ、何かをする必要はまったくないし、安心して甘えなさい!って言ってくれて。結局は自分自身で立ち向かっていくしかないことではありますが、意外と周囲に同じような人、いるかもしれません。もしいたら、お互いに支えられる関係になれるかも。

 

id:lylyco さん

ここに書かれてるような「原因探し」って、「納得できる物語を紡ぐ」みたいな極めて文学的な作業な気がする。とすれば、それなりに素養は必要だろうね。あと、自己肯定の前に他者による受容がある点もハードル高い。

たしかに、従妹や母の友人を通じてですが、どうして母もこうなったのかについて知ることもかなりやりました。母の家庭もひどかった→だからこうなったんだ→はい納得→許せたよ、とはもちろんなりませんが、後々きいてくる要素の一つとは思います。
自己肯定は結果的についてくることとして、他社による受容が問題ですよね。たまたま周囲の人間に恵まれていた面はたしかにあったかもしません。
よい対案がないのですが、ひょっとしたら、仕事なり、その他の活動なり、プライベートの交友関係なりで、「社会・他人の役に立つ」ことをしてみるというのはどうでしょうか。ありがとう、助かったよ、と言ってもらえることをしてみるのは。どんな目的で行動したとしても、親切にされたり、お礼を言う側からしたら、ありがたかったり喜ばしいのは一緒かもしれません。でも、役に立つから利用されている、という意味でない受容感を得られるポイントなのではないかと思います。

 

id:ueshin さん

トラウマ系の心理学に囚われないほうがいいのでは。自分語り、自己執着が強いことにも自己否定感の要因がありそうな。

そうですね。だいぶ自分を知るヒントにはなったかと思いますが、妄信しないようにしようと思っています。考えるきっかけ、気づくきっかけとして利用していただければと思い、紹介しました。
長すぎる自分語りですよね…。すみません。私が頑張らなきゃ!という使命感がめちゃくちゃあったので、そういう部分はなくしていきたいです。というか、ほとんどなくなりました。

 

 

id:suikax さん

頑張り屋で真面目な人が自己否定していたお話。自分のように心底怠け者の自己否定には恐らく当てはまらない。

id:nayuta5150 さん

友人、恋人、親戚まであらかじめいるケースで長さの割に参考にならない

id:rzio さん

どれも無理だし。理解はできるんだけど、どんどん身につまされる記事だった。私は実際ゴミクズなんだと思う。要は助かる人だけが助かる。

id:tiri_gami さん

会社の人から認められる、てすごいな。看過してきたのに会社で打撃くらって社外の友達も信じれなくなることのが多いんじゃないか…なんかいいエントリなのに比べてクサってしまい自己嫌悪

id:kohgethu さん

うむー。共感半分、反感半分、ですね。自分の過去を振り返り、親との転機が訪れた、のは私にもあった。でも私には、私を心配し、受け入れてくれる友達もいないし、受け入れてくれる“場所”なんてない。どうしよね?

id:hikarix さん

共感できる箇所もあったけど所詮恵まれてる人と思った。 自己肯定感の低さから仕事も続かなく助けてくれる友人等いなかった自分は今生活保護です/ブコメ、競争というか事実を書いたまで。あと正論はお腹いっぱい。

id:feita さん

長かったが、面白く読んだ(interesting的な意味で)/まぁ助けてくれる人(友人、従妹)がいない人はどうすりゃいいのってのはあるけどなー確かに。助けてくれる人0で自己肯定できる人の話をお待ちしております。

ええと、ここから先は、あて推量でしか書けません。参考になることを書けなくて申し訳ないです。でも、二点だけ、思ったことを書かせてください。

私はちっとも頑張り屋でも真面目でもなければ、怠け者で本当にどうしようもないダメな人間で、死んだほうがいいな、と思ってました。実際に母や家族にはとんでもない怠け者と言われていました。
20代半ばあたりから、好きで楽しみにしていることすらまともにできなくなって、疲れているなら休めばいいのに、怠けているような気がしていつも焦ってました。やりたいことすら怠けるなんて、終わってるな、と。

なお、今現在の私は、基本的には働き者だけど、仕事は慣れてると機嫌ギリギリまで手を抜く、嫌いな勉強はのらりくらりとやり過ごす、いかに楽をして手を抜いて快適さを手に入れるかを追求している、普通の人間です。

もしかしたら、怠け者とか、ゴミクズだとか、その部分は、認知がゆがんでいることから、思い込んでるだけかもしれないです。もちろんただ怠けてることもあるだろうし、必要と思えば少し頑張ってみたほうがいいかもですが、大抵の人間は楽がしたいし、怠け者だと思う。それを必要以上に自分の欠点ととらえていたり、悪く認識していることが心配だな、と思いました。
みんなそんなもの、なのかもしれません。そんな怠け者の自分でも別にいいやー、と思得てる人が世の中にはかなりいます(今の私もそうだし、人前では頑張り屋さんのふりをすみんなしてるかもしれないけど)。

少し、気持ちを楽にしていただけるといいな、と思います。

 

それともう一つ、助けてくれる人がいたり、居場所があったんだから恵まれているよね、というところ。

これは本当にそうで、友達も従妹も、私が一方的に背を向けていたけれど、求めれば受け入れてくれていたことにとても感謝しています。でも私、ほかにはほーんと誰もいないんですよ。どちらかというと攻撃してくる係累ばかり。

恋人は、ふられはしませんでしたが、受け入れてはもらえませんでした。

回復し、充足感を与えてもらうにあたってとても感謝しているけれど、それがないと出来なかっただろうか?というと、とても時間がかかったり、耐え切れず違う展開を迎えたりはしたかもしれないけど、同じ方向には進めないことはなかったと思うんです。

(問題から距離を取る)→認知の歪みを自覚する→他者からの肯定=自己の肯定→回復(自己を受容する)→消化(問題への許し)

自己肯定感を高める=心を楽にするに当たって、上記のステップを踏む、と記述したわけですが、この中で、一番大事なのは、認知の歪みを自覚する、というところと、回復(自己を受容する)ところだからです。
認知の歪みの自覚、矯正と、自己を許すにあたっては、カウンセリングのほうが有効な面は大きかったと思います(客観的な視点から言ってくれているであろうとの作用があるのでしょう)。

他者からの肯定は心の支えでしたし、居場所=職場があると思えることは、1人で生きていけるなという気持ちを強くしてくれました。

なにもないと思うかもしれないけど、居場所はこれからの人生できっと作っていけます。職場じゃなくても、どこでもいいと思います(勝手なことばかり書いてすみません)。
他者=親しい人からの肯定は難しい人もいると思うけど、一つ、カウンセラーはとても有効です。

また、毒になる母親 には、セルフカウンセリングの手法等、受診せずとも1人でも回復させるやり方が色々と書いてあります。私はそれらは試していないので、どうとは言えないのですが、興味があればご一読いただければと思います。

色々と書いてみたけれど、あまり有効なことが言えなくて申し訳ないです。

助けてくれる味方がいなくても、回復したよ、という方がいたら、私もぜひお話を聞いてみたいです。

 

それでは、また。