こじらせ女子のつまらない出来事

長めの文章が好きな方へ

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自己肯定感のその先に

実は近々お見合いのようなことをすることになって、先方はお父上が同席されるということで、うちの母はついに私の出番か!と張り切っていたようだったけれど、もちろんお断りした。そもそも、数年間会っていないのだし。

父はいない(離別)からもちろん呼べないし、間に入ってくださっている方にお願いしてみようかとも思ったけれど、やはり釣り合いがとれないだろうし、少し悩んだけれど、もう1人で行くことにした。

どうして私が1人出来たのかきっと聞かれるだろうし、お見合いならば家庭環境の話題も必ず出るはず。別に恥ずかしいことはしていないのだから、堂々と行けばいい。

そう思ったけれど、かなり心がしぼんだし、今回もきっと無理だろうな、と思ってしまった。なんだろう、この感覚は、と思い返してみると、いつも出会いの場に行くと多かれ少なかれ同じような怖さを覚えている気がする。

過去の記事で、自己肯定感の根っこのようなものは芽生えましたよ、というお話しはしたけれど、じゃあ自信満々、いつも堂々と生きております、なにも怖くないの、という訳ではもちろんなくて、その気持ちは異性関係だとかなり強くなる気がする。

そう悪くはないし、恥ずかしいことはしていない、と思いつつも、こんな自分を受け入れてくれる男性がいるのだろうか、と思うと、私はやっぱり自信がない。怖くなってしまう。

 

私の友人はその昔、当時付き合っていた彼氏について、うちの家系に片親の子を入れるわけにはいかないから、彼とは結婚しない、と話していた*1

まだ学生だったし、とても幼稚で独善的な考え方だと思ったけれど、そう思う人間がしばしばいることはもちろん知っていたし、かなり親しい友達がそれを口にしたことで、かなり衝撃を受けたことを覚えている。

いま、自分がいる世界に自分がふさわしくない人間なのだ、と目の当たりにした気もちになったから。

就職活動をしていた時は、遠縁のおばさんに、家庭環境や過去のことは隠すように、と言い含められた。心に傷があるような人間は好まれないから、損をするだろう、とのことだった。

その頃の私は心が真っ暗で、両親の離婚その他の家族関係のダメージが色濃くあり、かなり不安定な状態だったから、それを見透かされていたのだと思う。

ありのままではだめ。世間には受け入れてもらえない。隠さなければいけない。

繰り返し、繰り返し学習してしまった気がする。今はこうは思わないし、語るべきことは語り、話すべきでないことは黙っていればよく、自分を恥じる必要はないのだと思っているけれど、どこかに染み付いて、離れない。

 

私が悪かったわけではないけれど、被虐待児であったこととか、片親であるとか、残った母とも絶縁しているとか、そんな人間と好き好んで付き合い、結婚したがる人はいるだろうか?

その人は良いと思ってくれたとしても、 そのご両親は?親戚は?大切な息子とそんな女と結婚して欲しいだろうか?できれば、苦労のないよう、問題がない女性と結婚してほしいと願うものなのでは?

そして、幸せな家庭や優しい母親を知らない人間が、良い母、妻になれるのだろうか?

昔からずっとそう思っていた。

私自身、だいぶ変わったけれど、やっぱりいざとなると、またこの問いが浮かんでは消え、また浮かぶ。

全然気にしないよ、と大らかな気持ちでいてくれる人もいると思う。実際に、受け入れてくれた恋人も過去にはいたのだし*2

まだ出会ってもいない誰かの影を、特に悪いほうに妄想してに怯えているのはバカバカしいことだし、ダメならダメでいいじゃない、とは思う。

そこで拒絶する人とは合わないのだし、それはそれで、卑下することではないのだし。

 

生きていて楽しいと思えることは増えたし、人としての自分は受け入れられるようになってきた。

友人や家族として大切に思ってくれる人もいて、幸せだなと思う。

でも、妻や母親、女としてはどうだろう。大丈夫なんだろうか。大丈夫と言えるようにしなければならないと思っているけれど、自信がない。

もちろん、受け入れてくれた誰かの気持ちには応えたいし、少なくとも自己憐憫には陥らないよう、最大限努力していくことは決めている。

少なくとも、恋人としての自分はそうだった。足りないところはきっとたくさんあったと思うけれども。

 

ここまで書いてみて、やっぱり、自分の話が苦手な件でも思ったけれど、どこかで自分を恥ずかしく思う気持ちがぬぐえなくて、その最大の理由である家庭環境や過去のことで、また傷つくのに恐怖心があるのだろうな、と思った。

実際に、合コン等で知り合った男性には、私がどうしてもだめ、と思ってお断りした方も多かったけれど、フェイドアウトされることもあったのだし、家庭の話が出た人もいたし、話さなかった人もいたけれど、顔とか見た目とか、性格とかなんかフィーリングとか、何かがダメだったのだろう。

もしかしたら、家庭環境とか過去のことで断ってきた人もいたかもしれないけど、結局、たくさんあるダメな理由の一つにすぎないのかもしれない。そして、何でもかんでも過去のことを理由にする癖は、安易と怠惰をますます助長する。

反対する人は反対するだろうし、私にバツをつける人も世の中には沢山いると思う。でも飛び込んでみないとわからないはず。

前向きになる、というよりも、さっぱりとしていればいいのかな。あと、安易に、不安から逃れるために、直面することから逃げないようにすること。

よく、もうずっと1人でもいいかな、むしろ1人でいたいかも、と思ってしまって、婚活やめたいな、もう1人で生きていくことに決めようかなぁ、となるのだけど、やっぱり逃避的な側面があったのだと思う。自分とは関係ない、必要がないと思ってしまえば、もう傷つかなくていいのだし。

もう少しだけ頑張ってみようかな。今更もう、なにも失うものはないのだし。

 

*1:なお、その友人は10年くらいたって、片親どころではなく、もっと偏見の眼で見られるであろう相手と結婚した。ご両親は、娘が選んだ相手を尊重し、一切心配や反対をしなかった、という事実も添えておく

*2:そういえば、私みたいな変な人間と関わらせて申し訳ない、と、申し訳なく思っていたこともあったな…、だから、どこか難がある相手を選び勝ちだった気がする。ものすごく申し訳ないことをした!