こじらせ女子のつまらない出来事

長めの文章が好きな方へ

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若い女というものはみんな彼氏が欲しくて結婚したがっているものだ、という風潮について考える

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すでにたくさんの方が読まれていると思いますが、ニニコ (id:ninicosachico)さんの本日のエントリがとても共感できる、素敵なものでした。

ninicosachico.hatenablog.com

 

まだご覧になっていない方は、ぜひ読んでいただきたいなぁと思うのですが、勝手に要約しますと、

積極的に子供を生みたいとは思えないが、パートナーとの間に子供が欲しい気持ちがないわけではなく、結論を出すことができない。

しかし、世の中には「女とは子供を生みたがるものだ」「女は子供を生んでこそ一人前」といった風潮があり、露骨に問いただされたり、望まないアドバイスをされてしまったりする(善意で)。

むやむに他人の人生設計に口を出さず、放っておいて欲しい。

というものです。

ブクマコメントを読んでいると、様々な反応がありますが、おおむね、共感を得ているようで、

産みたい女 産みたくない女 産むか産まぬか決まらぬ女 - 限りなく透明に近いふつう

何度も頷きました。ほんとそう。ほんとそうなのよ。

2015/04/20 11:46
産みたい女 産みたくない女 産むか産まぬか決まらぬ女 - 限りなく透明に近いふつう

頷きすぎて首がもげそう。わたしは「産むことはやぶさかでないが、本気で産みたさが高まるまでは産まない」と思ってたけど、「いずれ産みたくなる女の本能」は結局持ってなかった。でも「産みます」。

2015/04/20 12:09

 

私も頷きすぎて涙が出そうになるとともに、「メジャー」でない側としておせっかいな善意に複数年にわたって晒され続けるつらさとか、不安さを思うと苦しくなってきてしまいました。

思うに、「女とはこういうものである」という風潮が世の中にありすぎるのではないかと思うのです。

女とは、恋愛をしたがっているものである

女とは、はやく結婚したがるものである

女とは、みんなに祝福されて結婚式をしたがるものである

女とは、子供を欲しがり、母性愛で何よりも子供を愛するものである

たとえばこんな感じです。

 

今日は、たいていの「女とはこういうものである」に乗ることができなくて、息苦しく感じているお話をしようと思います。

 

もちろん、どんな人も、様々な偏見にさらされて窮屈な気持ちになっているものでしょう。男性にも、「あるべき男性の姿」像があると思いますし、うざったく感じる人もたくさんいるでしょうしね。

たまたま、自分が気にしていることだから、クローズアップされたように思えているのは承知していますが、なんだか、ニニコさんの記事を読んでいたら、抑えていた気持ちが噴出してしまったようなのです。

これは、少し前のツイッターなのですけど、

 

 

 この手のことはホントにしょっちゅうあります。

一昨年は婚活エントリなどを書いていましたが、やっぱり私は、とても好きだった相手と、いずれ結婚したい、子供が欲しいと思ったこともあったけれど、そうでなければ結婚や恋愛、子育てにしてあまり前向きではないわけです。

上記エントリと同じで、「絶対にしない」と結論づけることもまだできていないけれど、「恋愛・結婚・出産したい」と思ったこともほとんどありません。

私の中では、「この人と結婚したいな」と思うことと、「いつか結婚したいな」、という気持ちが重なることはありませんでした。結婚を、相手との愛情の結果や、一緒にいる手段として考えていたのかなぁと今は思っています。

 

しかし、同じようなことを話していたり、共感してくれる女性は周囲にはほとんどいないようです(たまにはいますが)。

みんな、自然な欲求の帰結として、彼氏を欲しがり、結婚をし、子供を欲しがっています。そこまで積極的でないとしても、いつかは結婚したいなぁとか、彼氏作ってみたいなぁと、ほんのりとした願望はみんな覗かせているように感じます。

そういった意味で、自分が「ふつう」でないことを少しさみしく感じつつも、それはそれで、無理をしないでいることが一番大切だから、と思っているわけですが、なかなか世の中が捨て置いてくれないのです。

 

同世代の女性の友人は、「彼氏欲しいよねー?」「結婚したいよねー?」と、聞いてきます(なお、この手の会話はかわしやすいです。共感して欲しがっている人が多いので、私のことに特に関心がないケースも多いから)。

男性の同僚(年上)や、すでに子育てを終えた女性とかは、「早く結婚したほうが良い」「子育ては体力が必要だから、早いほうがいい」などとアドバイスをしてくれますし、

ひどくなってくると、

「お前の同期や後輩達はほとんど結婚してるんだぞ、お前は大丈夫なのか」

とか、

「いつまでも若いと思って悠長に構えていてはダメだぞ」

とか、

「結婚はいつでも出来るが、出産はリミットがあるからな」

 

さらにひどくなると、

「動物として生まれた以上、子孫を残すのが生き物としての義務」

などと言われたりもします。

彼らの価値観からすると、結婚もしたがっていない、子供も欲しがっていない人は人としての理解を超えているようで、「そういう自分勝手なやつらが増えたから少子化が進むんだよなー」などと説教をされてしまったこともあります(自分は常に不倫をしているくせに)。

こういった話をされる頻度は、アラサーになってから急速に増したように思います。20代前半のうちは、まだまだ若いからね、と、多少変わったことを言っていても誰も気にも留めていなかった気がしますし、適齢期になれば変わるだろう、と思われていたのかもしれません。

上記の例は、特に最後の方はあまり話したくないタイプではありますが、同僚や上司、お世話になっている方といった人間関係のある方々なので、そう無碍には対応出来ません。

もちろん、すべての問いかけに対して、きちんと返答する必要はないですし、ただの世間話であるケースもあるので、濁しているとそっとしておいてくれるケースも多いです。

 

個人のことだから勝手にすればいい、他人の承認は必要ない、適当に返答しておけばいい、という意見はごもっともですし、私もそう思いますが、嘘をついたり、誠実に回答をしないこともツライのです。

しかも、みんな、基本的には私に好意を抱いてくれていて、独身なのに焦りもせず、ふわふわしている私を心配してくれているのが分かっています。

その分、聞くに堪えないのです。

私、このままじゃいけませんか?という気持ちがフツフツと湧いてきて、世の中に適応できていないような、期待に応えられていなくて申し訳ないような、胸がきゅっとするような気持ちです。

もちろん、自分の人生は自分が納得して選択する、という部分がぶれることはありませんし、他人の理解を得るために生きているわけではないので、気にする必要がないのは分かっています。

でも、このやるせなさを完全に黙殺してしまえるほど、強くもないのです。

 

蛇足ですが、結婚しようとしてくれない恋人と付き合っているときに、

「いつまでもそんな人と付き合っているのは、年をとっても自分はなんとかなる(結婚できる)と思ってるからなの?」※考えが甘いんじゃないの?

「いつまでもカワイイ女の子でいられる思ったら、大間違いなんだよ」

などと言われたこともありますし、

また、最近、引越しをしたのですが、世間話で引越し先の話になったときに

○×区のようなところに住むのは、結婚して世帯を構えてからでしょ

なんて言われたこともあります。

環境のよいところや、住環境の良いところに住むのは、既婚になって一人前になってからするべき、というようなお話が続きました。いやあ、一人で引っ越してすみません。すみません。

 

辛いからと言って、「ふつう」に適応する方向で自分を変えることはできません。

彼らにいったいどんな対応をするのが良いのかと、色々試してはみたのですが、「あまり結婚や子供が欲しいと思ったことがない」、と、正直に返答すると、さらに苛烈な回答が返ってきてしまったり、根掘り葉掘り過去のことを聞かれてしまったりして、ますます不快な思いをする傾向にあるようです。

「モテないから、負け惜しみで結婚したくないと言っているんじゃないか」といったことを言われたり、「本当は結婚や恋愛をしたいのに、うまくいかないからひねくれているんだろう」、といった揶揄を受けたりします。

 

結局、「早く結婚して子供を生みたいけど、相手がみつからないんですよね~」と、婚活に焦る女子を演じ、おどけてみるのが一番、場の空気を乱さず、スムーズに話題をそらすことが出来るということが分かりました。

婚活までして、うまくいっていない女子にはたいていの人は優しいのです。たまにアドバイス的なことを言ってくれる人がいますが、たいていうまくいくよ、そのうち見つかるよ、と、会話が流れていきます。

みんな、「なんだ、同じ価値観の持ち主だけど、成功してないだけなんだな」、ホッとするみたいです。

 

その場をうまくやり過ごすことができて、それ以上、批判されたりすることがなければ、それでいいのかもしれません。

でも、一方で、それでいいのかしら?とも思うのです。

この世にはいろいろな考えがあって、いろいろな嗜好の人がいます。犯罪を犯しているわけでもありませんし、信条や生き方といった部分は個人の自由なはず。

自分にとって心地よい、納得ができる選択をするべきだし、私もそのようにしていたいのです。

でも、正直であろうとすると、色んな人に「大丈夫?」「そんな考えだとよくないんじゃないの?」と、心配という名の批判にさらされてしまいます。

甘んじて受けるべきなのかもしれないけれども、私は言われたくないし、放って置いて欲しい。

「善意」から「心配」してくれているのはありがたいけれど、言われた相手がどう感じるかとか、考えてくれてもいいのに、と思います。

自分と違う考え方/価値感の人間が身近にいることが、そんなに不気味で気持ちが悪いことなんでしょうか?それであなたに迷惑がかかりますか?(というと、介護とか少子化のことを言い出す人もいるんですよね、、、頑張ってお金を溜めますので…)

 

「ふつう」でないことは、ちょっと、やりにくいです。

もっと、大変な思いをする事情を抱えている方もたくさんいるのは分かります。でも、とにかく、ナチュラルに、当然に、繰り返される話題が、煩わしいのです。

自分の望む方向に進んでいるのだから、いいのだ、と気持ちを強くしていくことしか、対処法はないのでしょうか。

今日はそんなことを思いました。


今の自分が恥ずかしいとか、足りないとは思いませんが、もし、叶うものならば、「ふつう」の価値観が欲しいと私はずっと思っていたような気がします。

そうしたら、こんな生きづらいような気持ちにならずに済んだのに、と。

 

 今週のお題特別編「子供の頃に欲しかったもの」
〈春のブログキャンペーン 第3週〉

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