こじらせ女子のつまらない出来事

長めの文章が好きな方へ

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「やる気がないこと」はヤバイのか、問題について考える

 

こんにちは。

突然ですが、私はものすごく怠け者です。

仕事もギリギリまで手をつけなかったりするし、気が向かないとずーっと家に引きこもっていたりします。やる気なんて全然ありませんし、意識もちっとも高くありません。

 最近、意識高い系なんて言葉が流行っているけど、もう、ただただ尊敬する気持です。だってすごいもん、自分への意識が高いなんて。

 

こんなことを書いていると、とんでもなくだらしのない生活を送っているように思われるかもしれません。

でも、私はどちらかというと、マメに動く方だと思うし、そこまで手間を惜しむほうではないんですよね。

もちろん、自己評価なので、すごく甘いかもしれませんが(笑)

ででも、家事も細かくきちんとやるほうだし、家は綺麗だし、自分の手入れもそこそこやってるし、たぶんたぶん。。。

 

で、思ったんですけど。

 

 

 

私は意識も低めだし、向上心も薄めなんですけど、やりたいことはやれるんです。
(これ、当然かと思われるかもしれませんが、精神力が落ち込むと、やりたいことすらマトモにできなくなっちゃったりします。その状態の人は、自分の心身を見直してくださいね…)

 

つまり、家事をきちんとやっているのは、私の中で「家事をすることによって快適に過ごしたい=やりたいこと」という図式があるということです。

仕事中にネットサーフィンしたりしていますが、もちろん、ある程度時期が来たら、働きます(当然ですが)。

だって、お給料欲しいし、会社に勤めていたいし。
その結果として欲しい物を買いたいし。遊びたいし、食べたいし、やりたいことやりたいし(以下略)


つまり、ある時点になると、やりたくないと思った物事も、「やりたいこと」カテゴリーに入るんですよね。

 

「やる気が出ないことに悩んでいる」なら、その悩んでいる内容は、やりたいことなのか、やりたくないことなのか、考えてみたらどうでしょうか。

仕事や受験勉強といった、「やりたくないけど、やらねばならないこと」に関しては、認識の転換を試みて、なんのためにすることなのか、見直してみたら楽にならないでしょうか。

そもそもは、「やりたいこと」に行き着くことが多いと思うんですけど、いかがでししょうか。
そう簡単にいかないのかな、やっぱり。

 

行動に関しては、簡単に変えられることと変えられないことがあるよね。だから、行動より認識を変えるほうがよっぽどラクだと思うんです。

 

ちなみに私は、「やりたくないことをするのは嫌」なので、やった方いいと思われることでも、やりたくなければ基本的にやりません。

 

 

語学とか、資格試験の勉強とか、恋愛・結婚・出産もそうですけど、あと、美容とかダイエットとか、そうした方がより良いイメージであることって、世の中にたくさんあると思います。

でも、したくなくて、やる気がでないんだから、いいじゃないですか。

あなたがやりたくもないのに、世間体や世間からの眼線のために、無理に頑張るのって辛くないですか??

それで、もっとやれとか、痩せろとか、向上心を持てとか、勝手なことを言ってくる輩もいるかもしれないけど、あなたが納得してやれないことは特にしなくてもいいんじゃないかと思う。*1

少なくとも、私はそうです。

 

最初、気が進まないことでも、「やった方がいいかも→やりたいな」、というステップを踏むようにして、「納得」して取り組めるように自分を誘導することは、ままあります。

ダイエットとか、料理とか、ヘアケアとか、時と場合によりますが、仕事関連のスキルアップとか、そういうことへの取り組み方は、そんな感じです。

 

蛇足ですが、私の会社では、「直接仕事で使用しないにしても、この部門の人間なら○×の知識をつけておくべきだ」、みたいな分野がありまして、2/3くらいの人が関連資格を持っているんですけど、私、本当にこの資格勉強がやりたくなかったんです。

そもそも全然理解できないし、やっても一円もお給料上がらないし。後輩はふつうにストレートに合格していくし。でも私、参考書に書いてある内容もイマイチ理解できないし。

それでも、「○×の社員たるもの!この資格くらい!」と数年間は取り組みました。でも、全然成果がでないし、もちろん受かりません。そもそも、モチベーション下がっていく一方。

で、ある時やめました。

だって、よく考えたら、その方面が得意な人は腐るほどいるわけなので、私が別にやらなくてもいいし、やってもらえばいいじゃん! というか、どう考えてもやってもらったほうがいいし!

 

で、数年たちますが、特に何も困っていません。

諦められたのか、そもそも誰も関心がないのか、私にその手の仕事が回ってくることはありませんし、幸い、自分しか担当できない仕事があるので、そっちのスキルを磨いていったほうが効率的な上に、全体の利益に叶っていることになるのかな、と。勝手な意見ですが。

(※業務命令で資格取得すべきだったわけじゃないのが幸いしてます。それなら私もやめなかったと思う…)

 

話がそれましたが、その、「やった方がいいと思われるけど、やる気が出ないこと」とか、「やるべきだと思っているけど、やりたくない」ことは、本当にやる必要があるのかなー??と、最近思っちゃうんです。

 

悩んでいる友達は、何か具体的にやりたくないことがあるというよりは、総じて「向上心が乏しい(=こんな自分でいいのか)」ということに悩んでいるようなので、特にそんな感想を覚えます。

 私の立場からすると、こんな自分じゃいけない、という思い込みこそが彼女を苦しめているように思えるので、なんとか力になりたいと思うんですけど、まだまだです。

 

そう考えると、このところの私がやっていること、出かける場所、会っている人、みんな、私がやりたいと思って、納得して選んだ上でのことなんですよね。

こんな風にしていると、なにも無理しないで、気楽~に生きていけると思います。

(逆に、気が進まないけど、義理や仕方なしに行った場所とかだと、ものすごく疲れたり落ち込んだりしてしまいます。耐性がなくなってきてるよーーー)

 

 

 自分が物事に取り組んだり、決断する理由を、自分自身以外のところに置いてしまうと、いろんなことがかなり辛くなってしまいますよね。

でも、なかなか説明しても理解を得ることはむずかしいです。

 

 私のカウンセラーの先生はよく、「納得」して選択し、生きてくことこそがもっとも重要なことであると、よく話してくれました。

本心では納得がいっていないのに、無理やり自分の心や行動を押し込めてしまうと、人は心を病んでしまうと。

 

私は怠け者なので、「努力」 という点ではあまり語ることができないなーと思うんですけど、納得いかないことを無理やり頑張ると、心を病んでしまうということは、経験上よく分かります。

 

自己啓発や、学業、資格試験などに頑張っておられる方、たくさんいると思いますが、みんなどんな「やる気」をお持ちなんでしょうか。
それが理解できれば、友達の心に響くことが話せるでしょうか。

いろいろとお話を聞いてみたいところです。

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*1:これが、学生における親だったりするから、難しいんだよね。押し付けられているだけに感じたりして