誕生日について思っていたこと
暑かったと思ったらもう涼しくなってしまった夏、また一つ年をとりました。
30代も2年生です。
29歳のときはなんだか寂しい気持ちになって、30歳のときは少しホッとして、今年は特に何も思いませんでした。
むしろ、あと何回誕生日を迎えるのだろうか、ということに思いを馳せています。
平均寿命からしたら、あと、今日までの歳月をもう一回転、もしかしたら二回転することになるのかもしれません。私の親族は、とても長生きの人と、とても早く亡くなっている人、どちらかに分かれているので、ひょっとしたらあと数回、なのかもしれません。
先日、たまたま「誕生日について感じていること」を話す機会を得まして、人によっては、「生まれてきたことを感謝する日」、「生んでくれた両親に感謝する日」と捉えていることを知り、かなり衝撃を受けました。
このブログを読んでくれている方の半分くらいは、程度の差こそあれ、生きづらさを感じている方だと思っているので、「お、おう」という気持ちになられるのではないでしょうか(笑)
誕生日とはいったいなんでしょうか。
もちろん、「自分が生まれてきた日」というのは、動かしようのない事実ですが、人によっては盛大なパーティーを開いたり、大事なイベントで、特別な意味をもつ一年で一番大切な日ということになるのでしょう。
私からすると、「友達や大切な人の誕生日」は、大好きなその人がこの世にいてくれることを感謝する日かな、と思います。できるだけ、楽しい、幸せな気持ちになってもらえる一日にしたいな、と思っています。
※祝われるのがイヤな人以外
「私自身の誕生日」はとくになんでもない、ただの一日なんですけれども、
それと同時に、「おめでとう」といってもらえる日、祝ってもらえる日、周囲の人からの好意を感じられる、大変ありがたい日でもあります。
また、これまでの一年間と、これからの一年間に思いを馳せる、定点観測地点としての意味はあるかもしれません。
ただ、去年までは、私はあまり誕生日をうれしくないと思っていて、何故嫌なのか自分でも分からないでいたんですね。
私はあまり年をとりたくないと思っていた訳ではなかったので、自分でも不思議だなーと思っていたのですけれども、この度やっと理由がわかりまして。
どうも、これまでの誕生日が、
私の誕生祝いで集まったはずなのに、なぜか3時間まったく口を開かせてもらえず、ずっと母の愚痴と自慢話をずっと聞いていたとか、
当日、恋人にスルーされたとか(笑)、
お祝いをしてもらっているはずなのにロクな出来事がなく、要は、お相手に「大切にされていない自分」という現実に直面することへの怖れからきていたんだなぁ、と思いました。
周囲の人、一緒に過ごす人、もしくは、自分が大切に思っている(思われたい)人からの、自分への気持ちが見えてしまう日でもあるんですよね。
※そもそも、内心、蔑ろにされていることを認識しているのに、縋るような気持ちで誕生祝をしてもらおうとすること自体、私がバカだったんですよねーー。そんなヤツと付き合っていることがそもそもダメだったという。
ちなみに、今年の誕生日は、同性の友人と2人で過ごしました。だいぶ前からお祝いしたいと言ってくれて、私の希望を聞いて、お店を調べて招待してくれました。
そんなことをしてくれなくても全然良かったのだけど、その気持ちがとっても嬉しい、幸せな気持ちにさせてもらえた一日でした。
31歳はたぶん、いままでで一番楽しい年になる気がするんですよね。
30歳はけっこう動きがありまして、自宅を購入したりとか、長年のウンザリしていた人間関係を整理したりとか、いろいろありました。
あとそうそう、最近、子猫を飼い始めたんです。
あと何回誕生日を迎えられるか分からないけれど、この子を大切に養い続けられるように、なんとか働いて、最期を見届けるまでは生きていけるように、頑張るつもりです。
そんなこんなで、31歳もぼちぼち生きていきます。
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