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こじらせ女子のつまらない出来事

長めの文章が好きな方へ

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私はかなり「運が良い」人間なのかも

私は子どもの頃からあまり運が良いほうではなかった。

私はどうも頭が硬いので、「運」というのは、偶然が作用する部分がかなり大きい場合にのみ使う言葉だと思っている。

努力の欠如や、計画性のなさ、見通しの甘さのせいで物事が上手くいかないなら、それは当然のことだろうし、それを「運」のせいにするかはいかがなものか。

と、小さい頃からずっと思っていて、だから自分が不幸せだとか、不運だとか述べるのがなんだかとても恥ずかしく感じていたし、大真面目に主張している人がいると本当にそうかなぁ?と内心思っていたりした*1

 

 

そういう意味で、私は運が良くない人間だったと思う。

たとえば、掃除当番でじゃんけんで負けた人がゴミ捨てに行く、といったときに、けっこうな高確率で負ける。

商店街やお店のくじ引きでも当たったためしがない。弟や母が、わりとよく懸賞に当たる人間だからか、家族にも「お前は運がよくないね」とよく言われていた。

私は国立小学校を受験するための抽選に参加したのだが、複数行ったうちの全てに落ち、弟は全てに合格した、など。

 

うまく行かなかった事柄の方が心に残るものだから、たまたま「ついてないなぁ」と思ったエピソードのみを記憶しているのかもしれないけれども。

私は、子ども心に「どうやら自分には思いもよらない幸運が転がり込んでくることはあまり期待できなさそうだ。だから、欲しいものがある時は、自力で手に入れるようにしないとなぁ」などと、可愛げのないことを考えていたのをよく覚えている。

怪我や事故に遭いやすい子どもでもあった。よく生きていたなぁと周囲が思うような出来事もあったらしい。

 

そんな私だったが、このところ、もしかしたらかなり強運なのではないかと思うことがある。

それは、全体的な運勢ではなくて、ごく限られた範囲のことなのだけれど、恋愛運でも健康運でも金銭運でもない。

どうも仕事運というか、出世運はあるような気がするのだ。

 

そもそも、今の仕事に就けたのもかなり運が良かったのだが、その後も大抵の願いが叶っている。

新人の頃は、早くリーダーになりたいな、責任を持たせて欲しいなぁと思っていたら、大規模な人事異動があり、1年で昇格してしまった。

その少し後は、30歳くらいまでに実力をつけて花形の部署に行きたいなぁと思っていたら、別の部署で不幸があり、人繰りの都合で異動することができた。
(当時は大抜擢と色々なところで言われた。面談等で将来の目標として話したことはあったけれど、真剣に主張したことは一度もない)

そのほんの少し後に、たまたま入社時の上司が手がけていて、手伝わせてもらっていた仕事が大きなプロジェクトになり、専門性の高い仕事だったのでそのまま担当になることができた。そのおかげで、社長賞などの表彰を何度も受けることができた。
(あまりやりたがる人がいない面倒な仕事だったので、なんとなく立場上関わっていたことが大変運が良かった)

その後も、パワハラや過重労働が重なり、異動したいと思ったときにも、うまく席が空いてすんなり異動することができたし、またその少し後も、やりたいなと思った仕事に携われることが出来ていて、これがかなり面白く、やりがいを感じている。

そしてさらに今年、どうやら私はけっこう出世してしまうようなのだ。
35~40歳くらいまでにその役職につければいいなぁ、頑張ろう、などと、思っていただけだったのに。

 

たかが仕事で大袈裟だなぁと思う方もいるかもしれないが、ここで私は、もしやかなりの強運なんじゃないかしら、と思うようになった。

やりたいなぁと思った仕事や、つきたいなぁと思っていたポジションに大抵就くことができている。そして、自分の能力や、周囲の出世の仕方からして、このくらいまでに、と思っていた年齢よりも、かなり早く。

ごく日本的な組織で働いているので、「出世」するためにかなりアピールしたり、社内政治を駆使して働きかける人もいると聞いているが、一度たりとも私はそういったことをしていないのだ。

 

これは、婉曲に優秀で評価が高い自分をアピールしているのではないのだ。

どの異動の時も、組織改変や大規模な人事異動があったりして、「たまたま」席が空いてしまっている。それで、誰かいないか、となったときに、比較的身軽な状況でそこにいる。

上の人間からしたら、「ま、ちょっと実力不足(若い)けど、他にいないし、いいか」という感じで、抜擢いただいている感じがする。ついでに言うと、私が新人~若手の頃についていた上司たちが、みなかなり出世した。だから、誰かいないかな、となったときに思い出してもらえるし、気安く配置できる部分が大きいのだと思う。

これがラッキーでなくて何なのだろう。

 

もちろん、実力が十分伴わないのに肩書きや職責だけが上がってしまうという側面が大変大きいので、いつも、

いつも、「え、え、私がですか?で、できるでしょうか??」という反応をしてしまうし、今回は正直喜んでよいのかすらよく分からないでいた。

しかし、誰もが手に出来る幸運でもなく、また、卑屈になってうじうじしているのもまた見苦しい。

くじに当たったことは(ほぼ)ないけれど、当選することがあれば喜んで享受したいと思っていたのだ。与えられた責任は喜んで果たしたい。

 

冷静に考えれば、この時代に、この日本に生まれたことは運が良かった(悪い部分もあるにしても)。

大人になるまで生きてこられたこと、この生活環境に生まれたこと、学業ができたこと、経済状況が悪くなる前に就職できたこと、すべて幸運だったのだと思う。

悲しくてつらいことも多々あったし、手に入らなかったもの、諦めたものも多かったけれど、それと他のことは切り離して考えるべきで、与えられ、恵まれたことも多かったのだと思う。この先もきっとそうだろう。

まだ31歳なので、仕事運はあるなぁ、などと思っていても、大失敗して左遷されたり、会社が倒産したり、リストラされたりなどなど、思うようにいかなくなることもあるかもしれない。

先が長すぎて、後から思い返せば良いときもあったなぁ、くらいに思うことなのかもしれないけれど、良いこともあるんだなぁと、じわじわ嬉しくなってきたこの頃。

どうも私は、なかなか運が良い人間らしい。

*1:こういう思考は自分を追い詰めるだけで良くないなぁと今となっては思います